追悼 中井太喜

ありがとう 中井太喜 〜あなたの事は忘れない〜

平成25年5月12日 近鉄ライナーズの勇敢なハードタックラーは天国に旅立ちました。 寡黙でチームの為に体を張り続ける男は誰からも愛され、信頼され、入部2年目にはすでにチームの中心的な存在でした。

自分より大きい相手へのタックルを恐れない男。 一切の弱音を吐かず、病魔とも闘い抜きました。
近鉄ライナーズはこれからも中井太喜選手の魂を胸に戦います。


中井太喜(TAIKI NAKAI)
ポジション:フランカー
入部年度:平成23年
出身高校:啓光学園高校(現常翔啓光学園高校)
出身大学:京都產業大学

平成24年度公式戦全15試合(先発12試合)出場 平成25年5月12日永眠


あなたの勇姿を忘れない

監督 前田隆介

謹んで、お別れの言葉を申し上げます。

中井、悔しいよな。24歳になったばかりだよな。
悔しいよ。 大切なチームメイトがいなくなってしまう事に、まだ気持ちの整理がつかずにいます。

今年の1月末まで、トップリーグ(公式戦)でグラウンドを走り回っていたよな。
1ヵ月前に入院するまで、クラブハウスでトレーニングしていたよな。
何で、こんな、あっという間に・・・信じられません。

近鉄ライナーズで共に過ごした2年間、
あなたの勇姿は特別でした。
一年目の夏合宿では大活躍し、MVPプレーヤーに、
そしてシーズン終了時にはチーム新人賞を…

二年目のシーズンでは、チームのピンチを救うビッグタックルを連発し、
監督賞を贈りました。

普段は口数が少なく、大人しい男でしたが、
試合では度肝を抜く、ハードタックルと勤勉さで
チームに勇気と感動を与えてくれる若き中心選手で、
目覚しい成長を遂げ続けてくれていた期待の選手でした。

私は監督として、あなたの三年目シーズンを
心の底から楽しみにしていました。

そんな新シーズンスタート直後に、病が発覚し、
入院する前に、スタッフルームに来て、笑顔まじりで
「必ず戻ってきます。」と言っていた姿。
お見舞いの際に、痛みで苦しい状況にもかかわらず、
「必ず勝ちます。」と息切らしながら発してくれた気持ちの強さ、
絶対に忘れません。
簡単に弱音を吐かないあなたの姿、
私は一生忘れません。

今日ここに、参列しているチームメイトがあなたの姿を思い出し、
あなたの分までタックルしてくれる事を私は信じています。
チームの為、仲間の為、身体を張り続けてくれた事を
心より感謝しています。
本当にありがとう。

どうぞ安らかに休んでください。さようなら。

平成25年5月14日 前田監督弔辞より


中井、これからも同期と共に

同期入部 豊田大樹

中井との出会いは高校3年の花園への大阪予選だった。キックオフのボールをキャッチした 僕は今まで味わったことのない衝撃のタックルを浴びせられ仰向けに倒された。 顔をあげると僕の上にいたのが中井でした。第一印象は強烈すぎた。

大学でも毎年菅平で試合をした。高校も大学も顔は知っていたが同じチームでプレーする ことは一度もなく、ライナーズで初めて一緒にプレーすることになった。

二年目のシーズンで初めて同期が全員公式戦メンバーに選ばれた。中井は一年目から 公式戦メンバーに入り、二年目ではチームの中心選手になっていた。それを間近で見て 悔しい思いをしていただけにめちゃくちゃ嬉しかった。遠征先でみんなでコンビニに いったりと、これからずっとこの同期でラグビーができるのが楽しみで仕方なかった。 つい最近もご飯を食べに行った時「これからは俺らがチームを引っ張っていかないとな」と 話したところだった。 その2ヶ月後に病気がわかった。 はっきり言ってその時は心配はしてなくて、「あいつのことやからすぐ治してグラウンド に戻ってくるやろ」くらいにしか思わなかった。しかし、お見舞いに行く度に痩せていった。 しんどくて面会できない日もあった。やっと会えても、そこには「ほんまに中井か?」と 思うくらい痩せたあいつが苦しそうに寝ている。

それが何を意味するかはさすがに私にもわかったが、それでも受け入れられなかった。 あいつがいなくなった今でも受け入れられていない。 ご飯を食べに行っても、飲みに行ってもそのへんにいそうで信じられない。

多分この先一生受け入れられないかもしれない。受け入れるためにどうしたらいいか 必死に考えたが答えは出なかった。 でもそんなこと考えているうちにアホらしくなってきて、引きずっていると思われても いいから、わたしはその気持ちのまま進んで行こうと決めた。 中井、これからも同期と共に。

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